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長い間自分自身を使って学ぶことについて考えてきました。勉強が嫌いな人にとって何かしらの価値を発信できたらと思っています。ゆるーく書いていきますので、温かく見守っていただけるとありがたいです。

私とっての偏差値の意味(30台から80台まであげてみてわかったこと)①本気になれるバカさは必要

みなさんは偏差値はご存知でしょうか。

 

受験生ののころに苦しめられた、そう!あれです。

 

わたしも例にもれず、苦しめられた一人でした。

 

高校受験の時に偏差値というものを初めて知り、

 

当時、一日平均約13時間勉強を継続することで、

 

一年で25近くをあげることができました。

 

我ながら思うのですが、とても効率が悪かったです。

 

今となって考えてみれば、効率の悪いやり方を経験した、

 

自分が学習段階のどこが弱いのかを知ったことで、

 

勉強ができない(インプットが苦手な)人がどういった思考法をしているのか、

 

学ぶ姿勢をしているのか、を一次情報的に集積できました。

 

大学受験時に結果として上記のようなことを残し受験から解放されました。

 

現在は、当時自分の中で解決しないと先に問題があったので、

 

当時の目標であった旧帝大の医学部やそれと同等の大学を選ばず、

 

地方の国立大に在籍しています。(これについては、別の機会にかきます(笑))

 

実際に自分の壁を超えたとき、

 

その事象に対して、さまざまな構造が存在していたこと、

 

それが認知できるようになって見えるようになったことにより、

 

偏差値や学歴といったものが自分にとって全く価値がないものだと

 

実感するという不思議な経験をしました。

 

偏差値の高い大学に行くことが悪いと判断しているのではありません、

 

むしろ逆で、

 

そういったところに行くことが通過点として考えている人であるならば、

当然行くべきだと考えています。

 

 

 

私は、自分が試してきた多くの方法(現在進行形で開発している方法)

 

を広く公開することで、

 

自分の生き方を選択できる人が増えることを願い記事にすることにしました。

 

前提として、私は、母親は短大卒、父親は高校中退という

 

学ぶことに関して恵まれた環境ではありませんでした。

 

進学校出身の優秀な学生では決してありません。

 

むしろ、小さい時から、人は何のために生きるのか・死ぬのか、

 

みたいなことを考えるような、

 

ちょっと変わった、一般的に言うめんどくさい児童でした。

 

行動目的がないと行動しない子供でした。

 

当然、先生からは好かれていなかったように感じます。

 

それもそのはずですよね。。。今考えてみたら生意気なのですが。笑

 

学校の先生でそういったことを考えて生きている人は一握りではないしょうか。

もちろん先生の全員が上記のような人だ言うつもりはありませんが。

 

私の周りにはこういった先生が多く、尊敬できるのは事業家の祖父のみ。

 

親にすら敬意を払っていませんでした。

 

私にとって親はパターナリズムの権化ともいう存在で

 

全く理にかなっていないことばかりを言うところ、

 

自分の認めてほしいところを見ていないところに

 

反感を持っていたことを覚えています。

(これは言語能力が高くないために自己認知は出来ていても

自己表現がうまくできなかった点が挙げられます)

 

そんな中で唯一心を惹かれたのは、伝記に残る過去の偉人たちでした。

 

そんな幼少時代を過ごし、親の価値観から脱出するためにはどうすればよいか、

 

を考え続けました。これは今も継続的に意識して行っています。

 

なので、皆さんもお察しの通り、

 

友達と呼べる人はとても少なく、

 

18歳になるまで親友と呼べる人はいませんでした。(笑)

 

私が自分の人生について本気で考え始めたのは、この時がスタートになります。

 

私の信念は、

「意志のある所に道はある」

「人に対してやさしくできるために学ばなければならない」

の2点です。

 

前者は、私の生き様を表す言葉で、

これからキャリアの階段を上るときにブレないものとして公言できるものです。

特に後者は、私の人生において人間関係を考えるために大切にしていることです。

 

次回から1つずつテーマを決めて書いていきます。

 

1年というときの長さ

去年の今日、2017/5/7


現在の彼女と出会って、恋に落ちた。


あれは忘れもしない。


今思えば、


ものすごく運命的だったのかもしれない。


他大学のキャンプに参加したことがきっかけで出会ったのだが、


その出会い方も、偶然に偶然が重なっていたように感じる。


実際のところ、私は県外から参加することもあり行くかどうか迷っていた。



というのも、一緒に行く予定だった友人が学生実習で急遽いけなくなったからである。


それでも参加することにしたのは、自分の生活圏では出会えない人間と出会ってみたいという好奇心からだった。


これがのちに今の彼女との出会いにつながった。




一方、当の彼女は、当初は行く気がなかったようだ。



しかし、友達に誘われて急遽予定を変更して参加した感じだったらしい。


そんな感じの状況を背景に持ったまま、俺たちは出会うことになる。


最初のきっかけは、グループが同じであったこと、最初に話しかけてきてくれたことである。


自分が、他の団体からの参加ということもあり、様子をうかがい溶け込もうとしていた時のことである。



そんな状況も相まってか、二人が仲良くなるのに時間はかからなかった。



次の日には、一緒にキャンプ場から帰ってそのままデートに行ったし、とんとん拍子で事が進んでいったのだ。


この日の段階でお互いに付き合う事になるだろうということはわかっていたが、あえて口に出すことはなく、一旦連絡を取り合うということを約束した。


正式に付き合い始めたのは、その数日後のことである。



私は、関係をきちんとしておきたいという思いから、私の方から気持ちを伝え、相手の気持ちを確認した。



数が月後、私が留学に行ってしまい、それまでに数回しか会えていない。



留学後も、お互い連絡できるときに連絡を取るスタイルで、さまざまな事を話し合い、悩みや事件などを一緒に話し合って乗り越えてきた。



そのたびに自分の未熟さを感じ、問題を明確にし行動を変えてきたおかげか、去年とは違った接し方も可能になってきたようである。


加えて、彼女への一種の愛情みたいなものが芽生え始めていることに気付いた。

 

この一年、留学にきているということもあり、大変なことをこなしながら、


大切な彼女の存在に気付き、


両方ともバランスをとりながらやってこれたことは、とても貴重な経験をしたと感じている。


この経験は、送り出してくれた家族、私の師など多くの人に支えられてできて事であり、感謝の気持ちを感じずにはいられない。



そして、何より、一年という長い時間を会わずに待ってくれている彼女には、ただただ感謝の気持ちしかない。

 

「これからもよろしくね!

日本に帰ったら、たくさんの楽しいことを共有していこう!」

と後で伝えたいと心から思う。

 

今年の夏に帰国し、また会えることを楽しみに、今を頑張ろう!

 

初投稿

はじめまして!

 

アウトプットの場として、ここに投稿していきます。

 

ブログの書き方もよくわからないため、

温かい目で見守っていただけるとありがたいです。

 

一日の中で起こったこと、これまで思うところについて、

つらづらと、ゆるーく書いていこうと思います。

 

よろしくおねがいします(^^)